血清亜鉛値と基準値の見える化の試み

日付: 2020年9月8日

【記】
  日本臨床栄養学会の論文「亜鉛欠乏症の診療指針2018」よりの文献値と称して、(株)SRLは血清亜鉛の基準値65~110㎍/dlから新(?)基準値80~130㎍/dlに変更して二年が経過しました。また、同論文の血清亜鉛値の区分(60㎍/dl以下を亜鉛欠乏症、60~80㎍/dlを潜在性亜鉛欠乏)の【亜鉛欠乏症の診療指針2018】は、デジタル思考が蔓延する医療界には一見受け入れ易く、現在、浸透している様である。
  しかし、アナログであるヒトの亜鉛欠乏症の診断にはこの様なデジタル思考は大変に困った思考過程であり、臨床医療の現場で多くの誤診のもとともなっている。この様な診療指針及び(株)SRLの新(?)基準値を放置しておくことは適切でないと筆者は考える。
 

  最近話題の新型コロナ感染症の対策においても、統計学的ものの考え方の大切さはもちろんであるが、根拠薄弱な基準(値)の設定やその対策においてのデジタル思考がしばしば問題を引き起こしていたこと、特に、恣意的な基準や基準値の設定が如何に社会に混乱と害毒を流すかは、十二分に経験済みのはずであるが、社会に反省の機運は乏しいと思う。
  【37.5度以上、4日間】の新型コロナ感染症チェック項目のデジタル的運用と【亜鉛欠乏症の診療指針2018】のデジタル思考の共通性と血清亜鉛値の新(?)基準値への恣意的な変更が社会に及ぼす問題性について、心ある方々に気付いていただければと思う。
   

  【ヒトの血清亜鉛値は、身長や体重などと同様に、個々人が固有の適切なおよその値を有する生体値である】 しかし、血清亜鉛値は抽象的な数値であるので、身長や体重の様に視覚的に固有の値であることが認識され難く、さらに、欠乏症の血清亜鉛値はその個々の固有の値を基準として変動していることが理解され難い傾向にある。そこで本論文では、【亜鉛欠乏症の診断と診療】において、血清亜鉛値と基準値の見える化を試み、血清亜鉛値をデジタル的に捉え、基準値を恣意的に勝手に制定する愚とその問題性を明らかにしたい。
 

 【血清亜鉛値の固有の値が110㎍/dlのヒトは85㎍/dlでも立派な亜鉛欠乏症であり得るし、ごく稀であっても、固有の値が60㎍/dl以下でも何の症状も無く健常なヒトが存在する事実】を事実として確認し、自然科学として矛盾しないことを理解していただきたいと思う。

【記】
  亜鉛欠乏症の診断の確定は臨床症状のみでも、血清亜鉛(濃度)値のみでも不可能なことは、亜鉛欠乏症の医療に携わる者にとって異論のないところである。
そこで、亜鉛欠乏症の診断は、上記スライドのごとく、(Ⅰ)先ず疑うことから始まる。亜鉛欠乏症を疑う臨床経過も含めた①多彩な臨床症状とその②血清亜鉛値の値とを勘案して、(Ⅱ)亜鉛欠乏症の可能性の確かさの程度を推測する。その可能性の確かさの程度により、(Ⅲ)亜鉛補充療法を試行して、症状の変化や血清亜鉛値などの推移とを合わせて、総合的に診断するものである。
 
  亜鉛欠乏症の可能性の推測及びその程度の判断、そして診断確定へのその後の流れは、スライドにまとめたごとくである。

【記】
  血清亜鉛値が抽象的な数値であるために、現代のデジタル思考に慣れた多くの医療者達にとっては、日本臨床栄養学会の【亜鉛欠乏症の診療指針2018】の異常さには、うっかり、気が付かないのかも知れない。そこで、スライドの①②に譬えて可視化して、アナログであるヒトの疾病の診断、特に亜鉛欠乏症の診断の統計学的な確率を含めたアナログ思考の過程を示して、デジタル思考の問題点を明らかにしたい。
 
  特に、血清亜鉛値の【新(?)基準値 80~130㎍/dl】は臨床検査の血清亜鉛濃度の生物学的基準範囲でも、また、臨床判断値でもない。
  血清亜鉛値についての知識がまだ不充分であった10年余前の日本微量元素学会内で、【大部分が健常者で、亜鉛欠乏症者は少ししか含まれないから、‟臨床的に正常値“と決めよう。】と、正に、臨床的に”正常値“と推奨されたものである。
  臨床検査値の表記がISO15189に沿った生物学的基準(範囲)値(一部臨床判断値)とされつつある現在では、当然、新(?)基準値は本来の基準値ではなく、日本はもとより世界の学会、医療界に対しても大変にお恥ずかしいことである、と筆者は考える。
 
  因みに、血清亜鉛値の80㎍/dlを仮にカットオフ値とすると、亜鉛欠乏症者の約10%の血清亜鉛値はそれ(80㎍/dl)以上の値を示し、健常者の約25%の血清亜鉛値はそれ以下の値を示す。 
https://www.jstage.jst.go.jp/article/brte/22/1/22_34/_pdf
  現在、社会に蔓延するデジタル思考と相まって、亜鉛欠乏症の診断はもちろん、将来、公衆衛生上の判断にも多大な害毒を流すものと考えられ、少なくとも、(株)SRLのこの新基準値は、早急に、訂正されるべきもの、と筆者は考える。
  

【記】
【身長・体重の生物学的基準(範囲)値】
  平成28年の国民健康・栄養調査のデータから、20歳代の男性、女性の身長・体重の平均値、標準偏差より、それぞれ【平均値±2標準偏差】の式に従って、男性、女性の身長・体重の生物学的基準(範囲)値を算出した。
 
  20歳代男性は171~2cmの身長の者がいちばん大勢いて、183cmの者は、もう少し背の高い者も少数はいるが、まずまず背の高い方と言える。一方、160cm以下の者も時にはいるが、男性としては背の低い方であると言って良いであろう。このことは日頃の経験から大きな異論はなく、頷けることと思う。
  20歳代女性についても、身長146~7cmは、もっと小さい者もいるが、女性としてはこの辺りが背の低い方で、多くは158cm前後の身長である。170cmを超える者もいるが、女性としては大柄の方であると言って良いであろう。男性と女性のこの年代の人達の身長はだいたいこんな表現で納得される。およそ、その集団の生体値の数値が正規分布している場合、この男性、女性の身長の様に、その集団の生体値の実態、事実をこの様な生物学的基準(範囲)値の数値で表現することができる。
   
  体重もスライドのごとく、身長よりも標準偏差が男性は12.5で、女性は8.8とややバラツキが大きく、また、成人の身長は余り変動しない個々に固有の値を持つ生体値であるが、体重の方は身長に比して、短期的長期的にも、個体を取り巻く環境や恣意的なことによってでも、より変動しやすい値である。しかし、特殊なことがなければ、比較的変動しない個々に固有の値を持つ生体値でもある。
 

  身長や体重は、全体として、また、年齢や性別などのそれぞれの条件の集団で、それぞれに正規分布しており、平均値±2標準偏差【生物学的基準(範囲)値】で表現される。その統計学的な正しさは視覚と経験により認められている。


【記】
  ①個々の体型の女性、男性をそのシルエットで表すとする。シルエットであるから種々の身長、体重の組み合わせの性差を伺わせる体型の特徴やその他の付属する情報から、そのシルエットは性別が極めて明らかなものからまずまずのもの、不明瞭のものまで存在するものと考えられる。しかし、現実には、この①のシルエットの情報の多寡にもよるが、不明瞭なものや不明なものを除き、その多くはそれぞれに女性と男性の区別はおおよそそれなりにつくであろう。そこでさらに、②の身長の数値情報を加えて組み合わせることにより、より可能性の高い確かさで女性と男性との識別が可能となるはずである。
 
【男性と女性を識別するアナログ的手法】
  シルエットでその性別が明らかな者ではシルエットで識別してまずまず大きな間違いはないであろう。しかし、中には、シルエットでは男性と女性を判別し難い者もいるであろう。女性の基準値より、身長158cm前後に女性が最も大勢居て、身長160cm以下の男性は、男性の基準値で約2.5%程度であることを頭に入れて、体型のシルエットとを合わせて検討すれば、確率的にかなりの確かさをもって、男性と女性を識別できるはずである。158cm以下の男性も、極稀ではあるが,居ないとは言えないので、男性の可能性が高そうなシルエットはそれなりの注意を持って、心に止め、慎重に分別する必要がある。 
  一方、身長171cm前後には男性が最も大勢居て、170cmを超える女性は女性の約2.5%弱であることを頭に入れて、判断する。大柄な女性が居ないとは言えないが、その確率は上記の通りであり、その判別は比較的容易と言えよう。
 
 問題は、160cm~170cmの間の身長である。68%ルールに従えば、女性164cm(158.1+5.7=163.8)以下には女性の約84%(50%+34.2%)が存在し、逆に、それ以上の身長の女性は、女性の約16%(50%-34.2%)であり、且つ、それも正規分布曲線に従って、徐々に少なくなることを頭において、その個人の身長とシルエットを組合わせれば、かなりの確かさを持って、女性であると識別できるであろう。
 
 老婆心ながら、【68%ルール、95%ルールについて、平均±1標準偏差の間に約68.3%が、平均±2標準偏差の間に約95.4%が含まれ、その4標準偏差の外側におよそ約5%が存在する】こととなる、とのおおよその統計学的なルールである。
 
  この様に実際の調査による実測値と統計学に基づいた生物学的基準(範囲)値により、見える化をすれば、<159cm以下は女性で、170cm以上は男性である>との暴論を平然と書く論文はキッとないであろうし、適当な数値の身長167cm以上では女性が居ても少人数であり、大部分が男性であるし、190cmほどの男性もいるから、<男性の基準値は167~190cmに決めよう>と学会のお墨付きの論文がでることもキッとないことであろう。 


【記】
【亜鉛欠乏症の診断と治療に関して、血清亜鉛値と基準値の見える化の試みの前に、ヒトの血清亜鉛(値)濃度についての仮説を確認する。】
 
【ヒトの血清亜鉛濃度についての確認】
  ヒトの血清亜鉛(値)濃度は、現在は、スライドのごとくにまとめられると言ってよいであろう。異論のある方は是非、是非反証・反論をお願いしたい。
 
  約4000名に及ぶKITAMIMAKI Studyはじめ長野県下の三疫学調査と1100名を超えるMIMAKI Data(現在15.2MBほどのデータ容量で、エクセルで集積)などの10000件を遥かに超える血清亜鉛濃度の測定と亜鉛欠乏症症例の追跡のデータを基に、生物であるヒトと元素亜鉛の生物学的関係を血清亜鉛値と元素亜鉛とのISO15189に基づく基準値についてまとめた。
  (亜鉛欠乏症のホームページ参照) http://www.ryu-kurasawa.com/2020-03-27/
 
  ヒトの血清亜鉛は、生物であるヒトと元素亜鉛の関係の中で、個々人の身長や体重のごとく、個々人にそれぞれに固有の適切なおおよその血清亜鉛濃度が存在する(仮説)。その個々人の血清亜鉛濃度が、身長や体重と同じく、正規分布しており、平均値±2標準偏差の生物学的基準(範囲)値で示される。身長は短期間に余り変動しないが、体重は個々人を取り巻く環境によって変動するごとく、血清亜鉛値はその固有の値を中心に上記の様な生理的変動がある。
 
  さらに、亜鉛不足の継続で、血清亜鉛(値)濃度は低下する。血清亜鉛濃度の低下の状態は、さらなる研究が求められるが(亜鉛欠乏症のホームページ参照)、平均で約25 ㎍/dl程度低下する状態で、亜鉛欠乏症状が顕在化するようである。(仮説)
 
  亜鉛欠乏(不足)状態で、血清亜鉛値が個々の基準値から低下しつつあるが、欠乏症状が発症せず、症状が潜在している状態を潜在的亜鉛欠乏症と称する。(日本臨床栄養学会の潜在性亜鉛欠乏:血清亜鉛値が60~80㎍/dlで、亜鉛欠乏症状がある、とは明らかに異なる)

【記】
【個々人に固有の血清亜鉛値の分布と生物学的基準(範囲)値との関係の確認】
  近年、生体値である臨床検査値は原則として生物学的基準(値)範囲をもって基準値と表現し、(一部は少数、臨床判断値のこともあるとのこと、)異論のないことであり、ISO15189の定義による生物学的基準範囲は【平均値±2標準偏差】で表現されることも、もちろん、何方にも異論がないことであろう。 
【ヒトの身長や体重は個々人に固有のおおよその適切な値を持つ生体値である】
 
【日常的経験則より】 身長及び体重については既に述べた通りであるが、念のため再掲する。
平成26年の国民栄養調査による統計資料により、上記の計算式により計算すると
20歳代男子身長 平均値:171.5 標準偏差:5.9 基準値:159.7~183.3cm  
20歳代女子身長 平均値:158.1 標準偏差:5.7 基準値:146.7~169.5cm
 
20歳男子体重:42.6~92.6kg  
20歳女子体重:34.7~69.9kg
 
【健診データの積み重ねより】
  産業医活動のデータや職場の職員の健診データを逐年で積み重ね、単に集団としてだけでなく、各個人の健診データを個々に逐年にわたり追跡すると、多くの生体値は多少の変動があろうとも、個体を囲む日常一般の状態に特別の変化がない限り、驚くほど一定の数値を示す生体値であることが多い。イヤ、むしろ、その様な固有の値を示す生体値の方が多いと言ってよい。
 

  だが、現在、大部分の一般人はもちろん、多くの医師達も健診データを、個々バラバラに単発のデータとして、一応基準値内の数値かどうかに重点を置いて、判断・評価していることが多いと言っても過言ではない。しかし、例えば、基準値内に存在して、ほとんど一定の固有の値を示していたHb値やAlb値の小さな変化がその後の重篤な疾病の予兆であったり、偶々、その個人の体調の変化の始まりを示すものであることは、しばしば、経験することである。
  前述の体重も、生物学的基準範囲はかなり広い生体値ではあるが、経年的、逐年的に見ると、驚くほど個々人に固有の生体値であることを示しており、その変動から何らかの変化を予測することは、これまた、しばしばのことである。
 
【血清亜鉛値も身長や体重と同じ生体値】
  血清亜鉛値は、まだまだ不明なことが多く、一般的には身長、体重のごとく可視化されないが、筆者らのKITAMIMAKI StudyやMIMAKI Dataなどの10000件をはるかに超える多数の血清亜鉛値の測定と臨床経験の積み重ねより、表記の仮説は、筆者等にとって、自明のことと考えているが、本論文ではその仮説の説明と検証の一助にもしたいと考えている。
 
  血清亜鉛値は平常の条件下で、基準値内の如何なる値でも勝手に示す様な生体値ではなく、身長や体重と同様に個々人におおよそ適切な固有の値を持つ生体値である。日内変動の様な比較的大きな生理的変動はあるが、個々人の固有の値を基として、慢性的不足状態や亜鉛補充療法時などに顕著な変動を示す値でもある。このことを、大部分の一般人や多くの医師達が日常の臨床検査値の評価でウッカリ陥ってると同様に、日本臨床栄養学会の論文の執筆者達や(株)SRLでは、血清亜鉛値についても、間違えているのでないか?と筆者は危惧している。
 
  一定の条件下で、①個々人が固有のおおよその血清亜鉛(値)濃度を持ち、②その固有の血清亜鉛(値)濃度が正規分布を示し、生物学的基準(値)範囲が決まっている。この①②の仮説を、先ず、亜鉛生物学に関心を持つ、亜鉛欠乏症の医療に携わる多くの関係者に、他人の書いた論文による単純な概念的な理解ではなく、各自の実測値と現実の経験を積み重ねて、実証していただきたいものと考える。
 
  スライドのヒトの血清亜鉛値の仮説は正しいものとの検証を含めて、話を進めることとする。

【記】
  ①の多彩な臨床症状については、多彩な疾患や症状はその組み合わせや症状の出現、その経過などの臨床情報が次第に蓄積されつつある。
中には、それらの情報のみで亜鉛欠乏症の可能性が非常に高いものと認められるものもある。
  (例えば、褥瘡;亜鉛欠乏症のホームページなどを参照) http://www.ryu-kurasawa.com/20180217-2/ 
 
 しかし、亜鉛欠乏症の症状には一般的な症状も多く、また元素亜鉛の多彩な生体内機能からも、さらなる未知の症状・疾患の存在する可能性もある。しかも多彩な欠乏症状であることから、症状の組み合わせとその頻度より、芋つる式に欠乏症状と推測されることもしばしばで、今後も緻密な思考と予測及び臨床観察により、新たな多くの症状や新知見が積み上げられることが望まれる。
 亜鉛欠乏症の診断は、常に、多彩な臨床症状より、疑うことから始まる。
 
  ②の血清亜鉛値は生物であるヒトと元素亜鉛との生物学的関係による生体値であり、健常なヒトの生体値である身長や体重と同じく、健常なヒトの血清亜鉛値はそれぞれの個体に固有のおよその値を持つ生体値であると考えられる。ヒトの身長がそれぞれに固有の値であることは視覚的、経験的に、先ず異論を挿む方はおられないと思う。健常なヒトの体重も、また、何らかの特異な環境の変化や恣意的なことがなければ、驚くほどに、あまり大きな変動を示さず、それぞれの個々に固有の値を持つ生体値であると言える。
  しかし、亜鉛欠乏症のほとんど総ての臨床の現場では、それぞれ個々の固有の濃度から変動した後の、亜鉛欠乏状態の【個々バラバラに低下した血清亜鉛(値)濃度を最初に対象として、診断及び診療に臨まねばならない。】ことである。
 

【デジタル思考では理解できないバラバラの血清亜鉛値】
  現実の亜鉛欠乏症の診断、診療の臨床において、先ず取り扱うこの血清亜鉛値は、その殆どが亜鉛不足状態の結果、【非健常状態の低下した血清亜鉛値】であり、しかも【視覚的に可視化され難い抽象的な数値】でもある。
  そこで、デジタル思考に慣れ、経験的にも少数例しか症例数を持たない医療者にとって、健常な状態でも、【血清亜鉛値はそれぞれ個々人に固有の適切な値を持つ生体値】であると述べても、実感として、理解し難いことかとも思われる。
  さらに、個々には別々の固有の血清亜鉛値を基準として、亜鉛不足により低下した、正にバラバラの血清亜鉛値が生体にとってどの様な意味を持っているのかは、デジタル思考に慣れた多くの医療人にとっては、キッと理解し難いこともやむないのかも知れない。
 
  【血清亜鉛の同じ絶対値でも、人により健常状態の血清亜鉛値のこともあれば、亜鉛欠乏状態の血清亜鉛値のこともある。】、であるから、血清亜鉛値のみでは、亜鉛欠乏症の診断の確定は不可能である。
 

そこで、シルエットと②身長とを組み合わせて、男性と女性をより正しく識別する作業に譬えて、可視化を試み、アナログ的思考過程を示した。同じく、亜鉛欠乏症を疑う①諸情報と②血清亜鉛値の組み合わせにより、【亜鉛欠乏症の可能性の確かさの程度を推測】し、

その程度が高ければ、=>亜鉛補充療法の試行をして、診断、治療の確定へと進む

【記】
  図は、赤の矢印の65~110㎍/dlを非亜鉛欠乏症群(健常者)の基準値と仮定すると描ける87.5±11.2㎍/dlの赤の正規分布曲線(A)である。一方、亜鉛欠乏症群では、 62.1±13.1㎍/dlの青の正規分布曲線(B) (亜鉛欠乏症のホームページなどを参照)となり、基準値は36~89㎍/dlとなる。したがって、65~89㎍/dlの間では大きく健常者群と欠乏症群とが重なっていることが判る。
  当然、個々では異なるが、平均して(A)曲線から25㎍/dl程度の血清亜鉛濃度低下状態で、症状が顕在化することが予測され、顕在化した亜鉛欠乏症群の曲線が青の(B)曲線である。
 
  ISO15189の定義に従った【基準値】では、健常者群の血清亜鉛値はそれぞれ赤の正規分布曲線下に分布し、亜鉛欠乏症者群の血清亜鉛値は青の正規分布曲線下に分布することになるので、黄色の矢印のごとく65~89㎍/dlの間で大きく重なることが判る。
  しかし、さらに、正規分布曲線の統計学的な、【68%ルール、95%ルール】を大まかにでも利用すれば、ある症状を示す患者の血清亜鉛値の値から、その患者がそれぞれ、おおよその亜鉛欠乏症<である確率>と<でない(健常者である)確率>がわかり、亜鉛欠乏症の診断に大変に有意な情報源となる。こうして、亜鉛欠乏症の可能性が高ければ、次の(Ⅲ)亜鉛補充療法の試行の段階へと進むこととなる。
   
【個々人に固有の血清亜鉛値と亜鉛欠乏症症例の関係を具体的に医療の現場の数値で検討をお願いする】
  本来の健常者の基準値(生物学的基準範囲) 65~110㎍/dlと筆者等の亜鉛欠乏症の確診症例257例からの亜鉛欠乏症者群の基準値 36~89㎍/dlを具体的に使用して、この検証がキッと多くの亜鉛欠乏症に関わる医療関係者の亜鉛欠乏症の現実の医療に合致しているであろうことを示し、①、②の仮説及び本来の基準値 65~110㎍/dlの正しいことを主張する。
  <それぞれの関係者は他人の書いた文献値などでなく、それぞれの自己の実測値をもって、検証していただきたい。>
 
  この図からの68%ルールによると、間違いなく 亜鉛欠乏症と確診した症例の初診時の血清亜鉛値は、キッとその大部分は【青の平均値62.3±1標準偏差13.1】の約49~75㎍/dlの血清亜鉛値であることが多い筈である。特に、日常の臨床の現場では、平均値の約62㎍/dl前後の血清亜鉛値の症例が一番多いのではないかと考えるが、如何なものであろうか?各医療者の自験例で検討していただきたい。
  そして、一般的な亜鉛補充療法をすると【赤の平均値 87.2±標準偏差11.2】の約76~98㎍/dlの血清亜鉛値あたりまで上昇することが多く、本来の(株)SRLの基準値による平均値である87㎍/dl前後で平衡状態に達する症例がきっと一番多いのではないかと思う。もちろん、110㎍/dlやそれ以上になることは、それ程多数ではないが、もちろん、当然、存在する。
  95%ルール【87.2+2標準偏差22.4】の約110㎍/dlや極稀とは言え、±3σや4σの範囲のことも現実の臨床の現場では、当然、考慮にいれるべきである。

<極端な高値、低値を示す特殊例の詳細は別稿で!!>
 ただ、後述するが、極端に血清亜鉛値が高値・低値の場合は併用薬剤のキレートのことや多剤服用のことなども絡んできていることが多く、また、腸管内濃度が高濃度・長期投与例では、110㎍/dlを大幅に超える例もありうるであろうこと、詳細は別稿で述べることとする。
 

  初診時血清亜鉛値が 90㎍/dlを超える亜鉛欠乏症が 2~3%存在することは、健常時の血清亜鉛値が110㎍/dlを超えるヒトが2~3%程度はいるから当然であり、さらには、褥瘡患者のような明らかな亜鉛欠乏症者がしばしば併用薬のため、より高血清亜鉛値を呈することも、またしばしばである。一方、60~55㎍/dlであるが、どの様に問診しても、現時点で異常を発見でいない症例も存在することも、また事実で、症例を積み重ね慎重に検討したいものである。
 
 【本論文では踏み込まないが、筆者は現在の血清亜鉛値の測定データの積み重ねから、おおよその生物学的基準範囲を推定できる可能性もあると考えている。もちろん、筆者が批判している通り、日本臨床栄養学会の80~130㎍/dlは、どうやっても論外で、基準値にはなり得ないと考えているが、もしも本当に、日本臨床栄養学会、及び(株)SRLの関係者の皆様が、真摯な科学的な見地から、本気で血清亜鉛の基準値が80~130㎍/dlが正しいと主張されるならば、実測データと科学的論拠を整えて、主張していただきたいと思うし、筆者のこの文に痛烈な反対論を展開していただきたいと思う。】
 
 また、筆者は【1970年代の(株)SRLが当時は健常者と考えた自社の従業員の実測データから制定した本来の基準値 65~110㎍/dlが全く<実存の数値である>】と固執するつもりはない。当時日本において、すでに、亜鉛欠乏の傾向が存在しなかったと強弁するつもりもない。しかし、血清亜鉛濃度の生物学的基準範囲は、本来、元素亜鉛とヒトという生物の生物学的関係で決まるもので、その時の恣意的な事情で決められるものではないことは、自然科学に携わる者の矜持ではなかろうか?と筆者は思う。医学が自然科学にその基礎を置くものとすれば、出来るだけ実存の数値に近い数値を求める努力をすべきものと考えるが、如何か?】