2008.02.17. 信州別所温泉の家の裏庭に飛来したカケスの番

kakesu

300mm望遠レンズで撮影

 

1958年、丁度50年前に、この同じ野鳥カケスを放し飼いで飼ったことがあった。
その放し飼いの記録があるので、近日中に公開したい。

 

HAPPY 巣立ち

倉澤家の長男隆平君は先刻より裏庭のサツキの大株の蔭に、大きな中古の黒いカ-テンを頭から被って、うずくまっている。隆平君は、この春東大の医学部の入学試験に見事スベッテ、現在信州山奥の別所温泉の自宅に謹慎中の身分である。お母さんの光子夫人が、先程から二階の方で呼んで居る様だが返事もしない。「隆平。そこで何をしているの。」遂に見つかったらしい。隆平君は黒いカ-テンをもそもそさせて、顔を出し口に指を一本もって行って、片目をつぶって見せた。光子夫人は、一寸庭の高野槙の木に目をやって、頷いて奥に入ってしまった。
「うっ、六羽か。」隆平君が低い声でつぶやいた。
彼はおよそ四時間も前から、こんなかっこうをして、カ-テンの小さな破れ目から、片目だけ出しているのだ。凡そ、一月前の五月初旬。二男坊の貞夫君が、「兄さん。庭の高野槙の木に鳥が巣をかけたらしいよ。」と報告して以来、当倉澤家の家族はこの鳥のご一家と何等かの関係を持ち続けて来た。胸が紫色、青黒白の縞の翼を持つこの鳥が、カケスと言うことは、当家の主人朴氏が会社から聞いて来て以来、百科事典等で、調べて益々親しみが深まった様だ。カケスの夫婦が雌雄交互で卵を暖めていること。雄鳥は必ず巣を出る時、隣の柿の木に飛び、そこから観音様の方向に飛び行くこと。時には、裏庭と山の際にある欅の木にとまり、グミの木に急降下、松の木に移って、高野槙の隣の杉の木の根本に降り、杉の枝を順次上方に上がって巣の高さまで登り、そこから高野槙の木の巣に帰る。

雌はこれとやや違った、しかし定まった道を通ること等々貞夫君の観察により判った。五月も中旬になった。

「兄さん。卵がかえった様だね。カケスの奴、さかんに出たり入ったりしているよ。」と貞夫君が言う様に、巣の方から、微かにひな鳥の鳴き騒ぐ声も聞こえる様になりだした。

倉澤家の朝は朴氏の号令による朝の体操から始まる。体操はいつも高野槙の木から十メ-トルとは離れない空き地で行われるから、カケスの夫婦にとっては、とんだ迷惑である。ひながかえってから、夫婦で餌を運んでいるのだが、食いっ気許りのひなが成長するにつれて、体操が三十分も続こうものなら一大事となった。 ひなは腹を空かして、親鳥が欅の木に帰った気配を知るや「ギャ-ギャ-」と騒ぎだす。親鳥は人間共に巣を気づかれまいと、自分の姿をさらして鳴いたり、飛んだり、人間共の注意を自分に向けようとデモを始める。遂に倉澤家の家族会議において、親鳥が来たら体操を止めることに決議された。カケスの夫婦は相変わらず、自分らの巣は人間共には知られまいと、例のコ-スでせっせと餌を運ぶ。倉澤家の家族も、巣など知りませんと言う顔で親鳥が帰ると、慌てて家の中に引き返す様な、お付き合いが一月は続いた。人間共で一番被害が大きいのは隆平君である。彼は毎日朝昼晩と三十分づつ弓を引くことにしているが、カケス夫婦が十分、いや、数分おきに帰ってくるので弓を持って庭に出たり家に入ったりしなければならない。その上に勉強して居ても巣の方が気になってしかたがない。

今日もドイツ語の本を机の上に置いて、意識はボンヤリと高野槙の方に向かっている。欅の木に親鳥が来て、ギャ-ギャ-と鳴き出した。すると真っ白な毛糸の球に、黒の小さな翼と尾を付けたような奴が一羽、巣から転げるように飛んで、庭に落ちた。隆平君は、「あっ」と叫んで階段を駆け下り、裏庭に飛び出した。 親鳥は悲鳴に似た鳴き声を上げて、山の中に逃げ込んだ。隆平君は、三十分ばかり庭中を探し回った末、「馬鹿な奴だ。猫に食われたらどうする。」と独り言を言いながら二階に戻り、又、ボンヤリと庭を眺めていると、又、一羽落ちた。今度は階段の中程まで降りかけて、流石、血の巡りの悪い隆平君も気がついた。「巣立ちだ」かくして、こんな格好をとるにいたったのだ。

六羽のひなは、皆巣から落ちて、いや、彼らに言わせれば、鳥生初の大飛行を敢行して、親鳥の鳴き声に導かれて山に登ってから、猶、親鳥は欅の梢でギャ-、ギャ-と鳴いている。隆平君はそろそろ足が痛くなったし、さすがに四時間余りも座り続けていたのだから、小便も出たくなって、腰を上げようと思っていると、又、一羽巣から飛び出した奴が居る。しかし、これは下まで飛ばずに、となりの松の木に引っかかってしまった。白い毛糸の球に、一センチほどの黒い尾をちょこんと付けて、青黒い二枚の羽を拡げて飛ぼうとするが、どうしても脚が枝をつかんでいて困るという格好をしている。十分ばかり、親鳥が「サア飛んでいらっしゃい、飛んでいらっしゃい」と励ましている様だが、この一羽ばかりは、どうしても飛べない。遂に親鳥がその隣りに来て、地面に向かって、他の兄姉鳥の様に飛んで見せるが、それでもどうしても脚が枝を放してくれぬ様だ。親鳥が怒って頭を突っついたので、悲鳴を上げながら、無我夢中で飛んだが、方向を誤って、松の木の枝に、ひっかかってしまった。そして今度は梃子でも動こうとしない。

陽は傾いて土蔵の蔭が松の木を覆い。隆平君、遂にしびれを切らして、黒いカ-テンを取り除けて、立ち上がった。親鳥は悲鳴に似た鳴き声を放って山に消え、子カケスは黄色い嘴を上に向け、身を硬くして、目だけで人間の姿をおっている。

 

蠅騒動

七番目のカケスの子は、発育が悪いのか、余りよく飛べない。昨夜の家族会議において、鳥籠に入れずに飼ってみること、飼育課長は隆平君。課員は貞夫君と言うことになった。隆平君と貞夫君の勉強部屋十畳と八畳間の境につるした泊まり木に乗せられて、黄色い嘴を喉まで開けて、黄粉と青菜のすり餌をパクついている。今まで口移しに餌を与えられていた為か、自分では絶対に突っつかない。小さく丸めた団子を指先でつまんでは大きく開けた口に入れてやらねばならぬ。その食欲の旺盛なこと、翌日には、どうしても黄粉の団子を食わなくなった。いろいろ試してみると、魚のレバ-なら喜んで食う。それから数日は、光子夫人は魚ばかり買った。従って倉澤家の食卓は毎日魚ばかりあった。しかし、又、断食が始まった。隆平君は毎食魚の難は逃れたが、心配が又、一つ出来た。賢明なる光子夫人が言うには、カケスが魚のレバ-を買う訳がないし、黄粉の団子が作れる訳がない。『餌はきっと昆虫よ。』ごもっともの御説ではあるが、飼育課長の隆平君にとって、どんな昆虫を食うのか、そして、どうやって捕まえるのか大問題となった。幸い煮干しを食うことが判って、しばらくは安心したが、ある日、隆平君の肩にとまって煮干しをくらっていた子カケスが、窓ガラスにとまっていた蠅に飛びつこうとした。それから隆平君の日課に蠅たたきが加わった。蠅ならいくらでも食う。しかも、嬉しそうに両翼を拡げて、「カカカカカ、、」とのどを鳴らして食うのだから、隆平君も嬉しくてしかたがない。しかし、蠅とても、そうたやすく、たたかれてはくれない。貞夫君が、「魚の頭をおいておいたら、蠅が集まるだろう」と名案を出した。隆平君の涙ぐましい努力が始まった。魚の頭を前に蠅たたきを上段に構えてのにらっめこだ。だが旺盛な食欲には及ばず、、、、、。

「必要は発明の母」とはよく言ったものだ。隆平君は無い知恵を振り絞った。魚の頭を空き缶に入れて、しばらくして、昆虫網をかぶせて、缶をけると、実に数十匹の蠅が一度の捕まることを発明。その後昆虫網を振り回せば蠅の奴、脳振とうを起こして仮死状態になること、こうして、餌の問題は解決するに及んだ。しかし、ここに至るまで、如何に倉澤家の全メンバ-が蠅取りに専心したか,彼の賢明なる光子夫人が魚屋の店先で蠅の多いのに感嘆して、「まあ、このお店の蠅がいただけたら、、、、、」と重大なる失言をして、おやじを怒らせてしまったと言う、エピソ-ドでも判ろう。

 

命名

今日は、朝からもめている。つまり、我々の一員となったカケスの子に、名を付けようと、皆で議論百出だからだ。「この鳥はきれいだから雄だ。男の名がいい。」「いいえ、雌よ、女の名が、、、、、」「いや本当は雄の方がきれいなんだ。人間だって化粧をしなけりゃ-」ととんでも無い方に議論が行ったりする。将来医者になろうとする隆平君も、鳥の性別判定はどうしたらいいのかさっぱり判らない。しかも、性別検査をしたものなら「まあ失礼ね。」か「けしからん。」かは知らないが、兎に角、突っつかれたり、嫌われたりするに決まっている。結局、性別不明だから、中性的名前にしようと、幸福の鳥ハッピ-と決まった。この名前を鳥に覚え込ませるのも、飼育課長の隆平君の責任である。それ以来蠅を持って部屋にはいるとき必ず「ハッピ-、ハッピ-」と呼ぶことにした。この条件反射は三日程して、効果を現し、貞夫君と隆平君が、十畳と八畳の間の両端に立って、「ハッピ-」と互いに呼ぶと二人の間を往復して餌を貰う様になった。

そろそろ賢明なる読者諸兄姉はここに重大なることに付いて触れていないことをお気付きかと思う。そう食ったら必ず何かが出る。出る方の始末を、どうしているかと。隆平君と貞夫君それに主婦たる光子夫人の悩みはそこにある。飛べずに、泊まり木につかまっていた時は良かったが、勝手自由に部屋中飛び回られたのではたまらない。特に、隆平君は一日中糞とお付き合いである。ハッピ-の糞なぞ小さいものだが、塵もつもれば山である。遂に光子夫人が苦情を持ち出した。「こんなことをしていたら部屋中糞だらけになって、汚れてしまうわ。鳥はやっぱり鳥籠で飼うべきよ。」朴氏はいとも簡単に断を下した。「そうだ。そうしなさい。」しかし、誰も、ハッピ-を自分で鳥籠に入れようとする者はいない。兎に角、部屋に入れば家の者なら誰にでも、肩に飛んできて大きな口を開けて餌をねだるのだから、嫌われては大変と思っている。そこで、飼育課長の隆平君の調査が始まった。「糞を如何に処理するか」詳細の調査の結果、ハッピ-は、飛び出すときか、着地直後に糞をすること。そして90%が、イスの背と泊まり木及び人間の肩の、いずれかが発着着地となっていることが判明した。そこで、イスの背の後ろの下、及び泊まり木の下に新聞紙を。人間は入室に際して、肩にボロ布を掛けることにして、ハッピ-入牢の件は解決した。

 

入浴

七月に入ると、信州といえども暑さが増して来る。しかし、隆平君の勉強部屋は窓を閉じたままである。隆平君は、額から汗を流しながら、勉強をしている。ハッピ-君は先程から、隆平君の背の上で翼の手入れに余念がない。嘴で、一枚一枚羽をしごいては、尾のそばにある脂腺の脂を塗っているのだ。時々腹が減ると、隆平君の耳を突っついては餌の催促をしている。そのうちに、ハッピ-君がぶるぶると体を震わせた。途端に、凄いほこりである。医者志望の隆平君も人間の赤ん坊に産湯を使わせることを知っていたが、鳥の産湯には気が付かなかった。考えてみると、庭先の池でよく雀等が、頭を水の中に入れて水浴びをしていることがあった。早速、洗面器に水を入れて持ってきてやった。ハッピ-は、洗面器の縁にヒョイと乗って、嘴をちょっと入れ、ピリッと頭をふったと思ったら、ジャボンと飛び込んだ。正に、水車の様に翼を振り回しだしたから大変である。雀や小鳥の水浴とちがって、もう鳩位の大きさになっているのだから、八畳間中に水がはねる。洗面器一杯の水を部屋中にぶちまけて、今度は、濡れた身体で隆平君の肩に飛びのって、又、ぶるっとふる。隆平君は、ただ、唖然としてなす術を知らず。ずぶ濡れのハッピ-君を肩に畳を拭いたり、本を拭いたり。やっと始末を付けた頃には、ハッピ-君は翼を拡げて化粧に余念がなかった。

 

ハッピ-君外界を知る

七月も中頃、全く暑い。もうどうしても窓を閉めておくわけに行かない。青い水色のカ-テンを閉めて、窓を開けてみた。風が入って何という涼しさだろう。ハッピ-君の活動も、活発になってはきたが、風にはためくカ-テンを怖がって窓辺には寄らないで、隆平君の周りで遊んで居る。鉛筆をくわ銜えて転がしたり、紙屑籠から紙を引き出して、部屋中にまいたりして、一向に外に出ようと言う様子もない。

光子夫人がお茶を持ってきた。ハッピ-が、真っ先に飛びついて、大福餅を一つつまんで逃げようとしたが、重くて飛べない。机の上に置いてやると、脚で押さえて引きちぎっては、食ったり散らかしたり、「こうやっておけばいいわね。涼しいし、ハッピ-も、外には出られないし、、、」夕方、朴氏が帰宅した。隆平君がひょっと席を立った時、風がさっと吹いて、カ-テンが大きく揺れた。びっくりしたハッピ-君は、ひょいっと窓枠に乗った。慌てた隆平君が捕まえようとして、イスにつまずいた途端、ハッピ-君は、パッと土蔵の屋根に飛んだ。「わあ-、逃げた。」やや薄暗くなりかけた庭。初めて知った外界。柿の木に、松の木にと飛び回っている。倉澤家は、上を下への大騒ぎ、皆、口々に、「ハッピ-、ハッピ-」と呼ぶが、帰っては来ない。朴氏はいたってご機嫌が悪い。貞夫君は昆虫網を持ち出す。ハッピ-は欅の木にとまった。その時、山の中で、ギャ-ギャ-と鳴き声がした。ハッピ-はまるで、小さな球の様になって、隆平君の肩を越して、家の中に飛び込んで行った。その後を、同じカケスの一羽が松の木のそばまで追ってきた。つまり、カケス仲間の縄張りがあるらしい。翌日、カ-テンも開けてみた。ハッピ-君はなかなか外に出ない。時々松の木まで行ったりするが、すぐ帰って来る。

数日が経った。朝からハッピ-はどこかに行った。昼頃、山の奥で、「ギャ-ギャ-。」と鳴き声がする。「ハッピ-ハッピ-」と呼ぶと、「ギャ-ギャ-。」と答えて、欅の梢まで飛んで来た。それから、窓まで急降下をして、縁先に着陸。その時から、ハッピ-は庭の柿の木で、泊まる様になった。隆平君が電気をつけると飛んで来て、物干し竿に止まる。このころは、豚肉が大好物になった。例の、翼を大きく拡げては、「カカカカカ、、、、」と喉を鳴らして、喜びの表情を全身で表して、豚肉の一片をもらう。寝坊でもすると家の周りをぐるぐる回って、催促する。

 

七夕騒動記

八月に入った。ハッピ-君は、もう蠅を食べない。御飯、芋、魚、肉から、キャラメル、チョコレ-ト。凡そ人間の食える物なら何でも欲しがる。キャラメル等は上手に砕いて食べる。だから、隆平君も蠅を捕る必要が無くなった。そこで、倉澤家の部屋には、それぞれ蠅取りリボンがつるされた。ある日。ハッピ-君悠然と羽ばたきながら、開け放たれた表口から裏口へと座敷を通過しようとして、この蠅取りリボンに右翼をひっかけた。ピタッとくっついたので、慌ててもがいたから、左翼につき、身体中がんじがらめになってしまった。その悲鳴を聞きつけて、まず光子夫人が、続いて隆平君がかけつけたが、どうしていいのか判らない。光子夫人は、おろおろして、涙さえ出している。兎に角、宙ぶらりんのハッピ-を降ろして、リボンを取ろうとするけれど、気の立ったハッピ-はやたらと隆平君の手を突っついて、益々、リボンは粘り着く。革の手袋をはめて、解剖の鋏で細かくリボンを切って少しずつはがして、あとは揮発油で拭いて、やっと、自由の身にしてやった。それ以来、長く下がった物は何でもハッピ-君の敵である。蠅取りリボンの下がっている部屋には絶対に入らない。しかも、入らないだけでなく、外からにらめ付けながら、あらん限りの声を出して鳴くのだからうるさくてしかたがない。遂に倉澤家では、その夏、蠅取りリボンをしまわざるを得なくなった。八月七日。今日は七夕である。この温泉町の七夕は情緒がある。美しい五色のテ-プ、くす玉を青竹につるし、電灯の明滅する飾りの下を、浴衣姿の客が団扇片手に、若い娘も浴衣姿で行きかう様は、田舎の温泉場ならではの光景である。当然倉澤家では貞夫七夕準備委員長を中心に、五色のテ-プやくす玉を作り、普段、座敷の縁に掛けてある絹張りの灯籠に電球を入れたりして、裏山より切ってきた青竹に飾り付けをした。夕刻、これを門に立てかけるや、今までどこかに行っていたハッピ-君が突然御帰還。あらん限りの声を張り上げて鳴き、五色のテ-プを睨みつけて、テ-プが風に揺らぐや、飛び退いては、又、近寄っては鳴き続けるのだ。これには、さすがの貞夫七夕準備委員長も負けて、五色のテ-プを引っ込めざるを得なかった。

 

ピ-ナツ

今朝、ハッピ-君は頻々と台所に出入りしている。何をしているのか、誰も知らない。兎に角、先刻から台所に入ったと思うと、どこかに出かけて行き、又、すぐ帰って来る。光子夫人が台所に行き、頓狂な声を上げた。「まあ、まあ、まあ。」「ハッピ-がピ-ナツを」。倉澤家には畑で採れた生の殻を被ったピ-ナツがある。これを戸棚にしまっておいたのだが、何時の間にか、ハッピ-君の知るところとなり、袋を破って、今どこかに、一個ずつ運搬中であったのだ。又、一個持って逃げた後に、この袋を他の戸棚にしまってしまったら、帰ってきたハッピ-君、戸棚に首を入れて、懸命に探している。大豆や小豆の袋を口で開けたり、つついたり。余り可哀想なので、二三個、ピ-ナツを見せると、慌てて飛びついてきて、殻をきれいにむいて、中のピ-ナツを五、六個喉に詰め込んで、二階へ行った。「それっ」と隆平君貞夫君が二階に上がると、ハッピ-君、辞書の間やござと畳の間に入れて上からつついて隠したり、紙切れを銜えて、上に載せたり、隠匿の真っ最中。又、本棚の蔭など覗いて居るので、後で行ってみるとそこにも二個ほど隠してある。その後、時々、どこからか隠してあったピ-ナツを持ってきて、食べている姿を見掛けたから、隠し場所を良く覚えているらしい。

 

オルゴ-ル

飼育課長隆平君は、ハッピ-の好物ピ-ナツを利用して、芸を教え込むことにした。

隆平君は、或日,「ハッピ-」と呼んで、ピ-ナツを振って見せ、オルゴ-ルの蓋を開けて、中に入れ、パタンと閉めてみた。慌てて飛んできたハッピ-君は、初めは、キョトンとした顔をしていたが、ぐるぐるとオルゴ-ルの周りを飛び回った末、あちらこちらと、オルゴ-ルをつつき始めた。そのうち、オルゴ-ルの蓋を開いて、見事ピ-ナツをせしめた。ハッピ-は、二三回繰り返す内に、オルゴ-ルの蓋を迷わずに開けるようになった。それ以来、朝など時々「乙女の祈り」のオルゴ-ルが鳴り出すようになった。隆平君は床の中で、ニヤリと会心の笑みを漏らした。蓋の開け方を知ったハッピ-君は、隆平君の思わぬことを始めだした。或日、客間に入っていった隆平君が、座敷中に、タバコがばらまかれて居るのを見た。ハッピ-の仕業である。タバコ盆の蓋を開けて、中のタバコを粉々にちぎっては座敷中にまいたのだ。そのうちに、味噌汁の鍋の蓋を開けて、芋をつまみ出す、煮魚はつつくと悪行、手に負えなくなった。ある時火鉢に掛けてあるヤカンの蓋を開けて、湧き出る湯気に目を白黒させている時もあった。

 

ハッピ-君村の人気者になる

九月に入る頃、ハッピ-君が突然失踪した。二日経っても帰ってこない。倉澤家は皆不機嫌である。貞夫君の提案で失踪広告を出すことになった。

カケスのハッピ-君行方不明。鳩位の大きさで、翼は青白黒の縞。胸毛は藤色、尾は黒。猶、ハッピ-、ハッピ-と自分の名を言えます。この鳥は放し飼いですから、つかまえた方はお放し下さい。
下松屋

カケスは人の声の真似が出来る。ハッピ-君も機嫌が良いと、自分の名を口ずさみ、倉澤家に働きに来る人達が「誰がハッピ-の名を呼んでいるのかと思ったら、ハッピ-じゃねいか。」と言うほど明瞭に言う。貞夫君は良く起こされるのが常なので、それを覚えて「サ-チャン、サ-チャン、オキロ-。」等と貞夫君にとっては、いたって、不名誉なことを、覚えられてしまった。猫のき声などは得意中の得意である。広告の効果は覿面で、翌日、村の子が「藤森さんの家に、つかまっているよ。」と教えてくれた。早速貞夫君と隆平君は自転車で出掛。ハッピ-の奴は、しょんぼりと菜っ葉と黄粉のすり餌に、生の米の入った、小さな速成の鳥籠に押し込められていた。「それ、うちの鳥なんで返していただけませんか」「家に、飛び込んで来たので、つかまえたんですよ。」藤森のおばさんの手は赤チンだらけだ。「じゃ、済みません。そのまま放してやってください。」「えっ、放していいんですか。」「ええ、放していいんですよ。」籠が開けられるや、ハッピ-君、一目散に倉澤家の方向目指して飛び去った。自転車で帰ると、ピ-ナツをむさぼり食って居る。何しろ、菜っ葉に黄粉では、どうにもならなかったんだろう。一躍、ハッピ-は村の人気者になった。 婦人会の奥さん連は倉澤家を訪ねては「又、カケスが巣を作ったら、是非、一羽ゆずって下さい。」等と言ってくる。時々、どこかの家でつかまっても、すぐ、子供達が知らせてくれる。可愛がってくれる家は知って居るもので、何軒かの家を毎日歴訪する様になった。殊に、常楽寺と言うお寺には、日参しているようで、ハッピ-がどこかにつかまると、常楽寺の方が、先に心配してきたりする。幼稚園もお得意先だ、子供達がお菓子をくれるからだ。幼稚園のジャングル.ジムにとまって、子供達の遊ぶ姿を、何時までも、見ているハッピ-君の姿はちょっと微笑ましい。

 

消ゴム

九月も中頃。青空に、赤蜻蛉が飛び交う。隆平君の試験勉強も夏の中だるみを抜けて、そろそろ本格的になり始めた様だ。

今日も、隆平君は滝沢商店で消ゴムを買った。娘の光代さんが「有り難うございます」と言って、妙な顔をした。隆平君はここ五日程、毎日消ゴムを買いに、来ているからだ。タバコ屋の娘に惚れて、毎日タバコ買いと言う話はあるが、毎日消しゴム買いという例はない。隆平君が、毎日消しゴムを買いに来る理由は、止むに止まれぬ事情があるのである。この頃ハッピ-は人が、いや、鳥が悪くなった。隆平君の消しゴムを横から、かっさらって逃げ、大屋根の上でボロボロにしてしまうのだ。隆平君も用心しては消しゴムを使うや、すぐ筆入れにしまうのだが、ついうっかり使ってコロリとでも横に投げようものなら、たちまちどこからともなく飛んで来て銜えて、行ってしまう。こんなことを、毎日やて居るのだから、消しゴムの不足する理由も判ろう。しかし、今日の隆平君は自信満々の様である。それから三十分後、隆平君は消しゴムをコロリと投げた。すかさず、ハッピ-が銜えて、逃げたが窓のところで一回転。消しゴムの真ん中に穴を開けて、凧糸を等し、一端は机の引き出しに縛ってあったんだ。隆平君は、ハッピ-を横目で睨んで、ニヤッとして、勉強を続けた。翌日、隆平君は、又、滝沢商店へ消しゴムを買いに行った。隆平君の机の上は、消しゴムのボロボロになった屑と凧糸の輪だけが残って、その一端は、しっかりと引き出しの把手に結びついていた。

 

御難

十月。庭の柿も赤味を増し、裏庭の栗の木も、あのトゲトゲしいいがを開いて、大きな栗が落ち始めた。

倉澤家の家族、朴氏、光子夫人、隆平君に貞夫君が、裏側の縁側に出て、ニコニコしながら話をしている。

客間のガラス戸が、古いものから、一枚ガラスの下の方を少しぼかしたものに、変えられたからだ。外から見ても、内から見ても、立派になった。玄関の方で、ハッピ-の声がした。ハッピ-が客間の向こうの八畳の間に姿を見せ、隆平君達の姿を見つけるや嬉しそうに羽ばたいて飛んで来た。皆「あっ-」と言ったが、間に合わない。全体が一枚のガラスになって透けて、見えるから、ハッピ-君は、何もないものと思って、正面衝突してしまった。一時、脳振とうを起こして、ふらふらしてはいたが、死なずに済んだ。それ以来、ハッピ-君は、座敷の戸の前で、必ず、一旦停鳥するようになった。

十月も中頃。倉澤家の長屋にいる大工の宮越さんが、竹の籠を片手におずおずと、倉澤家の門に入ってきた。光子夫人が出てゆくと、宮越さんが神妙な顔をして、頭を下げて、「奥さん。全く、申し訳ないことをしてしまいました。実は、家の子がお宅のハッピ-を棒で殴ってしまいまして、、、、」と言って、籠を出した。籠の中には、ぐったりしたハッピ-が横たわっていた。 家の中に入れてやると、飛ぼうとしたが飛べずに、ふらふらして居る。宮越さんの言うには、二男坊で、小さいときに小児麻痺になった子が居る。この子は、少し乱暴者なのだが、長屋の前にある倉澤家の畑の柿木で、柿をついばんでいたハッピ-を、突然竹の棒で、殴ったらしい。普段は、人間に殴られたことのない、ハッピ-君は、びっくりしたらしいが、逃げずに応戦した様だ。そして宮越さんが慌ててかけつけた時には、叩きのめされて、もう飛べない状態だった様だ。朴氏が後で、「宮越大工のあんなに恐縮した姿は見たことがない」と行ったくらい、恐縮して、帰って行った。流石、ハッピ-は野鳥である。三日程、家の中でうずくまって居たが、四日目には裏の池で水浴びをした。そして五日目からは、例のご贔屓筋の歴訪を開始した。

 

かまきり

ハッピ-の食事は人間と殆ど変わらないが、やはり野鳥である。或時、何か銜えて、ハッピ-が勉強している隆平君の肩に飛んで来た。何時ものことで、気に止めずに勉強を続けていた隆平君の頸筋に、何か気味の悪い、ヒヤッとした感じのものが触った。びっくりして、頭を振ると大きな毛虫を銜えて、ハッピ-が、机の上に、飛び降りたことがあった。

秋も深まった或日に、陽の良くあたっている居間の前のコンクリ-トの上を、カマキリが一匹、のそり、のそりと歩いている。この頃は、カマキリの産卵期か、雌カマキリが雄カマキリを、頭からモリモリと食っているのをよく見かける頃だ。カマキリの前を黒い蔭がサ-と動いて、ハッピ-君が出現した。カマキリは身の危険を感じてか、逃げようとしたが、既にハッピ-君の嘴が迫って、逃げられないと知るやパット、羽を拡げ、両手の鎌を大きく開けて、背をぐっと伸ばし、ハッピ-君と真正面に向き合った。この勢いに驚いて、ハッピ-君たじたじと二,三歩退いてから、カマキリの後ろに回って、頸筋に食いつこうと、敏捷に後ろに回るのだが、カマキリは大きく振り上げた鎌をキッと構えて、常にハッピ-君と真正面から向き合うように身を捻って譲らない。既に、鳩よりも大きくなった、ハッピ-と、いくら大きいとは言え、このカマキリとの対戦は全く問題にならないと思って見て居た隆平君は、驚きと興味の瞳を持って、眺めていた。三,四分この対立は続いたが、遂にハッピ-君恐れをなして、隆平君の横に飛んで来てしまった。カマキリは悠々と引き上げていった。

 

ハッピ-はお客がお好き

階下の客間で大勢のご婦人連の「キャ-ッ」と言う悲鳴が上がった。近郊の婦人会長連が数人集まって、お喋りの最中のことである。「まあ、まあハッピ-」と光子夫人の声がする。お菓子でも運んで、座敷に入っていった様だ。「ええ、家で飼って居るんですよ。ええ、放し飼いで、、、、」と得意そうな光子夫人の声である。ハッピ-君がお客様歓迎の意を持って、突然飛び込んでいったのである。実を言えば、お菓子が欲しかったのである。お客様が来ればハッピ-の大好物のピ-ナツやチョコレ-トがでることを、良く知って居る。遠慮して、手を出さないで居たご婦人達の前で、ピ-ナツを五,六個喉の奥にしまいこんで、座布団の下などに隠して廻ってで居る。しかし、いつもの様に外には出ない。まだ、何か美味しいものが出るのかも知れない、と思っているのかも判らないが、兎に角、お客様が来ると、殆ど外には遊びに行かない。余りうるさいので、外に追い出して戸でも閉めようものなら、二階を経由して座敷な入ったり、それも出来ないと、表に行ったり、裏に来たりして鳴き騒ぐから、可哀想になって、中に入れてやることになる。ある時、上田の牧師夫妻が遊びに来られた。例によってハッピ-君歓迎の挨拶に現れて、温厚なる牧師さんの気持ちを、察したのか、肩に乗って遊んでいたが、遂に牧師さんの禿頭に乗り、頭を物珍しそうに、眺めていたが、突っついて、糞をした。これは、隆平君や家族のものによくすることで、ハッピ-君の最大の親愛の情を表したものかも知れぬが、隆平君は、えらく恐縮してしまった。しかし、牧師さんにはこの情が通じたのだろう、その後もよく「ハッピ-君は元気ですか」と聞かれる。

 

入牢

干し柿のシ-ズンだ。農家の軒先には、きれいに皮をむかれた渋柿が、縄紐でつながれたり、竹串に刺されたりして並ぶ様になった。誰もハッキリとは倉澤家に苦情を申し込んでこないが、ハッピ-君は、この干し柿を啄んで、失敬するという噂が耳には入ってきた。裏庭にはいくらでも柿が有るのだから、人様の家のものを失敬しなくても良さそうなものだが、困ったことになった。売り物の柿をそうつつかれたのでは、農家の人も困るだろう。更には、或家ではハッピ-が新聞をずたずたに破ってしまったとか、針仕事をしていたら、銜えて持って行ってしまったとか、コンパクト、まゆ黛を持って行かれたとか。家中に、茶殻がまいてあったとか、子供が菓子をパクラレタとか、困った話を耳にするようになった。日頃のハッピ-君の行状を知る隆平君にとっては、至極、ありそうな話である。そう言えば、隣の朝日ホテルでは、突然闖入して来た鳥に刺身の一枚を失敬されて、お客が腰を抜かしたという話もあったそうである。

或日、隆平君は大工道具を取り出して、何か作っていた。出来上がったものは、縦横一間、奥行きが三尺からなる大きな鶏小屋だ。遂に、ハッピ-君は入牢と言うことになった。光子夫人が言った。「ハッピ-もよそに行かずに、裏の庭や山で遊んでいればいいのにね-」。村のハッピ-のご贔屓筋は、突然のハッピ-の訪問が無くなって「どうしたのか」と問い合わせが来た。特に、常楽寺の子供達や奥さんは寂しがった。

二月。「お前。もう山に行って仲間と遊んでいて、帰ってこなければ放してやるのだがなあ-」隆平君は呟いて東京に発った。

 

後日談

村の人々は、ハッピ-の姿が見えなくなって、寂しがった。四月も中頃、そろそろ昆虫なども出始めた頃、光子夫人はハッピ-を外に出してやった。

以前の様に、余り人の家に入ったという噂は聞かなかったが、唯、常楽寺と倉澤家には、毎日姿を見せていたが、一月ばかり経って、両家にも姿を見せなくなった。以前の様に、どこかの家につかまって居るとの話もない。ハッピ-は何処に行ったのか?それは、ハッピ-君だけが知って居る。今でも、隆平君と貞夫君が山など散歩して、カケスの声を聞くと必ず「ハッピ-、ハッピ-」と呼ぶ。

倉澤家には、隆平君と一緒に撮った写真一枚と光子夫人の手に止まっている二枚の写真が、アルバムに貼ってある。常楽寺にはム-ビ-に撮ってあるとのことだ。だが、そんなものが無くとも、ハッピ-は倉澤家の家族の心の中に、更にハッピ-の接した人々の心の中に生き続けている。